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新装版案内

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本辞典は、1987年3月に小社から最初の刊行本として誕生しました。初版以来、多くの方々のご愛顧を賜り、1999年9月第17刷まで増刷を重ねました。しかし、編者伊東眞澄いとうしんちょうの急逝により、小社は余儀なく業務休眠状態に至りました。

このため、2002年7月第18刷から2008年10月第20刷まで、(有)ゆうジパングに発刊を委託し、伊東眞澄いとうしんちょう編として発行してきました。その後、(有)ゆうジパングの倒産に伴い、本辞典は品切れ、刊行未定の状態になっていましたが、関係各方面から復刊のご要望が相次いだことから、2015年12月に小社より本辞典を復刊する運びとなりました。

編者の幼年期は、終戦後の激悪な食糧事情下でした。その“食いしん坊”のライフコースを決定づけたのが、高度経済成長期の象徴と言われる大阪万博(1970年)の閲覧でした。世界中から最先端の本物が勢ぞろいしたパビリオンの中で、レストランの他にブラスリーやカフェで自慢の食文化をアピールしたフランス館に2600冊もの本を揃えた「フランス図書館」が設けられていたのです。

すでに、編者は三洋出版貿易(株)において、専門家のための西洋料理翻訳出版を手掛け始めて2年、すぐにパリのアシェット社で業務実習3年を経たのち、フランス料理の定義と実践方法を科学的、万国普遍の方法論で明示したプロスペル・モンタニエ著「ラルース ガストロノミック(Laroussue Gastronomique)」の日本語翻訳出版権を取得いたしました。

この「ラルース料理百科事典」(全6巻)は、好評のうちに迎えられ、5年後の1981年に全1巻総合版になりました。その間、西洋料理が一つの芸術(Art)であるならば、その生まれ出た土壌を解明することがまず必要であるとの理念にこだわり続けた編者は、次に日本の風土・感性に適合する情報を盛り込んだ、より実用性の高い独自の小型版刊行を立案し、現地取材報道誌「季刊フランス料理」を軸に、フランスと日本との差異の検証作業を開始しました。

3年余に及ぶデータの検討整理と追加収集で、実動しようとしていた矢先、社主・鈴木常夫氏の急逝にあい、小社を設立して編集作業の現場を移して7年後の2015年に本辞典の刊行となりました。1992年7月には「フランス料理和仏辞典」を刊行し、両辞典とも順調に増刷を重ねて今日に至った次第です。

いささか個人的感慨ながら、人のいのちの短さや書物というものの命脈の不思議さが思われます。本は、先人の軌跡と遺意を語り、先々の閃きと具体性を示唆してくれるように考えます。食についても一家言を持っていた夏目漱石は、ロンドン留学の折(1900年10月)一週間パリに滞在しました。

牛肉が大好きな大食漢で、こっそりジビエ料理を食べて濃厚な西洋料理が結構と言ったり、自家製アイスクリームにのめり込んだ等のエピソードを残している大先生のうるさい舌を納得させたのは、パリでのロジックな味の術にあったのでは?ちなみに、当時のブラスリーでワイン込みランチが、現在のレートで2300~2400円でした。

「一珈琲店に麦酒を傾け」る漱石を想像するだけでも、食文化のダイナミズムに思いがおよびます。

本辞典は、専門西洋料理に携わる方々の日常の業務に役立つことはもとより、フランスで生まれた「ガストロノミー」(おいしいものを愛する術)に関心を持ってくださるすべての人々、「ガストロノミー」に結びついた歴史、文学などさまざまなジャンルで活動する方々や料理愛好家の方々など、より広範囲の人々が本辞典に目を向けてくださることを切望します。

最後に、世界に肩を並べて憶しない出版文化構築という夢の共有理解者だった故社主在っての本辞典の成立でした。そして、崖っぷちに立って小社を支え、長期煩雑な作業を厭わずに監修の大任たいにんを引き受けて下さった杉冨士雄先生はじめ学究の諸先生方、並びに、各界のご協力者のみなさまの知識と情熱の賜物が再び発刊となったことを喜ばしく思います。この度の復刊へのご理解とご配慮・お骨折りを賜りましたみなさまに対し、編者に代わりまして心より御礼申し上げます。

2015年1月16日(故編者・夫 伊東眞澄いとうしんちょうの古稀の誕生日に)

伊東妙通

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